ある日の夜.
5年生の息子が,彼が1歳半くらいのときの様子を撮影したDVDを棚から取り出して見始めました.滅多にこんなことはないので私も妻もそして2年生の娘も少しの間手を止めて一緒に見ることにしました.
自宅に作った屋内用のジャングルジムで遊ぶ息子.テレビの音楽に合わせて激しく踊る息子.出勤しようとする私にしがみつき大泣きする息子.改めて聴くと恥ずかしくなるくらい優しい声色で息子に声かけする私や妻.
10年近く前の山田家,プレイバックです.
「ぷくぷくだったよね〜今はこんなに細身なのにねえ」「このときから活発だったねえ」,娘も兄の幼き姿を見て「かわいい!」とまあ,ほっこりと幸せな時間が流れたわけですが,当の本人は意外にもそれほど笑うことも喜ぶこともなくボーッとみているだけ,寝る時間になるとさっさとDVDを片付けて眠ってしまったのです.
息子は何を思いDVDを出してきたのか? 10年前の家族の姿を見てどう感じたのか? 何かを確かめたかったのか? 何かを私たちに伝えたかったのか? 答えは息子しか知らない.ひょっとしたら息子自身にも説明できないかも知れない.
私はそれを息子に問うてみることはしませんでした.直感的にしない方がよいと思ったのです.今回は息子の心の中に生じた何かをこちらからこじ開けないで覗かないでおこう,と.
でも,問うた方がよかったのかも知れない.息子は聞いて欲しかったのかも知れない.
子育てをしていると毎日のように,子どもにどのように接するべきかとっさに判断しなくてはならないことがありますね.正しいか正しくないかよく分からないけれど,子どもにとって少しでもベターな接し方を選びたいものです.
日々子どもたちをしっかり見つめてこのような直感をみがいていくことも,親としての鍛錬でしょうか?
2015年7月
更別村診療所
山田康介
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