村のどんぐり保育園の発行する「どんぐり通信」1月号への連載記事のご紹介です。
「死んだらどうなるの?」「お母さんは死ぬことはこわくない?」お子さんに聴かれたとき,皆さんはどう答えますか?
私の場合,職業人として「命」や「死」のことを考えない日はないのですが,いったん父として家庭に戻ると「死」というものがとても遠いもののように感じられます.
「命」や「死」を子供達に伝えることの重要性が叫ばれる昨今です.
今回は私が子どもの時(といっても中学生ですが)の経験を紹介し,皆さんに考えるきっかけとして頂きたいと思いました.
私にとって初めての身内の死は中学3年生の初夏.大好きだった祖父が61歳で亡くなったときです. ある朝,目が覚めると母が「じいちゃんが亡くなったから,今からじいちゃんの家に行くよ」と私に告げました.青天の霹靂(へきれき)でした.数年前から病気で治療中であることは知っていましたが,不治の病であることは知らされていませんでした.
祖父の亡骸(なきがら)に対面したときは,悲しさよりも亡くなった人の体への恐怖心が勝り,泣くこともできなかったことを鮮明に覚えています.さらに,どうしても避けられない理由でお葬式に参列することも火葬に立ち会うこともかなわなかったとき,私は母にこう聞きました.
「どうして僕にじいちゃんが亡くなる病気だって教えてくれなかったの?」
母は言いにくそうに,
「じいちゃんにも本当の病気を言ってなかったの.康介に教えたらじいちゃんに伝わってしまうかも知れなかったからよ.」
そのとき私は納得したふりをしてその場をやり過ごし現在に至るわけですが,思春期の私に人の「死」というもの,それを悲しむと言うこと,お別れをして喪に服するということが,どのように伝わったのだろう?
と医師になった今,考えることがあります.祖父が不治の病であることに感づくことができなかった自分,祖父が亡くなったとき泣かなかった自分,しっかりとお別れすることができなかった自分を責める気持ちが今でも心の奥にあって,時々浮かんできて顔を出すこともあります.
当時は「告知」は行わないのが普通の時代で,思慮深い母が悩んだ末の答えであることは間違いありません.だからこそ今私はこんな仕事ができているのかも知れません.
正月早々少々重たいお話になってしまいました.
平成24年を振り返ると,私が更別に赴任した12年前からの思い出深い患者さんとのお別れが多かったように思います.
そんなわけでこのような話題を文章にしてみたくなったのでしょうか?
「命」や「死」を家庭や教育の現場でどう扱い,伝えていくのか?大事なテーマだと思っています.
「死は真剣に取りあげられる限り,生に深みを与えてくれる.」 河合隼雄